「ぶす」という言葉では、およそ表現しきれないくらい「衝撃的な」容姿の「きりこ」という飼い主を、尊敬してやまない黒猫「ラムセス2世」が語る、きりこと彼女を取り巻く人々の物語です。
優しいマァマとパァパに愛情一杯育てられたきりこは、ずっと自分を肯定しながら生きてきたので、大きくなったある日「おまえはブスだ」と決めつけられても「ぶす」の定義が理解できません。「ぶすって、何だ。誰が決めたのだ。美しさとは?誰が決定する?誰が?」「ぶすやのに、あんな服来て」って、そんな言葉に屈することは出来ない。だって、自分のしたいことを叶えてあげるんは、自分しかおらんのだもの。
誰かの基準に寄り添う必要を感じないし、誰かの真似をしようとも思わないけれど、ただ自分がみんなにとってはぶすであるという事実と、それによって敬遠される理由を考えあぐねるのでした。
いつも傍に寄り添うラムセス2世は、きりこのどういうところが「人間界の中でのぶす」で、また「猫の間では」きりこがどれほど優れた人間であるかを、誰より的確に冷静に客観的にリリカルに分ってはいたのですが、きりこにそれを教えることをしません。きりこはきりこのやり方で、いつか知るべきであると思っているから。そして確かに、きりこは大人になって少しずつ気付いていきます。「うちはぶすで良かったんや。そうでなかったらみんなのことを「可愛い」かそうじゃないかの基準だけで生きていくことになったと思う!」
その言葉を聞いて、ラムセス2世は膝をうつ。「それでこそ、わが、きりこや」
そう、猫は世界中で最も偉大なのです。猫たちは、存在意義などということを考えない。無駄なロジックを必要としない、言い訳も嘘も偽りも虚栄も強欲も知らず、ただ全てを受け入れ、拒否し、望み、手にいれ、手放し、感じる、ただそこにいるだけ。あまりにも真っ当でシンプルなのです。
だから、おままごとの役決めの際も、愛する飼い主に向けてラムセス2世は必死に「猫役」をリコメンドします。「きりこっ、きりこさんっ!お母さん(役)なんて面倒くさいもん、やらなんで結構さま!猫があるやないですかっ、猫があるやないでうかっつって!」と。
歯に衣着せぬ語り口は、西原理恵子氏の漫画を読むようでもあります。
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